□ Dying.m □



 死んで良いよ、と言われた。
生きてる価値ないね、と嗤われた。


 要らないガラクタ同然の精神と肉体から成る私という薄汚い人間。
だからと言って、他の人間が綺麗かと問えば、別にそういう訳でもない。
綺麗なものなど皆無なのだ。
汚いものは、より汚いものを排除する。
排除するのは掃除をするよりも簡単なことなのに、優越感と共に快感を人間に与えた。
人間の歴史は、排除の歴史と言って良いぐらいに其を繰り返し行っている。
現代においても例外ではない。


 死ねば楽になれると誰が言ったのか。
死者に口なし。
楽かどうかなんて聞けやしない。
ただの逃避。
自殺など、単なる逃避行動だ。
そう思うのに、死は私を誘惑する。
死という現象に意味を持たせたい輩がいて、それを私は馬鹿にしている。
死に意味など存在しないと胸を張って言えるのに、死にたいとは堂々と言えない。


 どうして死にたいのか、人は問うだろう。
意味はないけど理由はある。
改善しないけど原因はある。
色々なものが溢れ過ぎている世の中で。
許容量を越した時、突発的に「死にたい」と思う。
殆んどの人は、その劣情を上手く処理出来る。
たまに出来損ないの人間がいて、劣情に負けてしまうのだ。
失敗作の芸術品。
きっとそれが私だっただけで、他の人なら上手く生き残れた筈だ。


 心の中を覗こうとするのを商いにしている人間がいる。
私とは相性が悪い人ばかりだ。
心を覗いたからといって、人を救える訳じゃない。
たまに勘違いをして傷まで付けていく愚か者も存在する。
解ってくれなくて良いから何も聞かないで欲しい。
どうせ認めるつもりなどないのだから、初めから聞かなければ良いのだ。
とにかく、大人という人種には愛想を尽かした。


 生きる価値を勝手に決められ、私は無価値になった。
イジメだと大人は騒ぐが、騒ぐのなら解決して欲しいものだ。
大人が無力だから子供は付け上がる。
排除の仕組みに取り込まれた時に、人間は自ら死を選ぶのかもしれない。


 イジメは単なる儀式にすぎない。
人間が繰り返し行ってきた排除の儀式だ。
子供も馬鹿ではない。大人から学んだものを実行に移すだけの頭はある。
それが定着し、いつからか儀式はエスカレートしていた。
大人よりも狡猾に賢く、子供は其を行う。
ただ耐えるだけの日々が被害者に与えられた日常だ。


 私は其に耐えることが出来なかっただけなのだ。
生きる価値がないのだと言うのなら、消えてやろうという気持ちが浮かんだのが発端で、それから発作的に死にたくなることがある。
私は負け犬になることを選んでいた。
だから、こんな遺書めいた物まで書いているのだが……。
最期に、私に生きる価値が無いのなら、アンタ達にだって価値など有りはしないんだよ。




 ガシャン──
金網を掴んでいた手に必要以上の力が入り音を立てた。
目に映る景色は青一色で、清々しい旅立ちになると呑気に微笑む。
河橘 一茄(カワキツ イチナ)は足元に揃えた靴に遺書を添え、ゆっくりと金網から手を離した。

「さようなら、一茄」

風に揺れる髪を押さえ、一茄はフェンスに手を掛ける。

「何してんの、アンタ」


 一茄の体重で揺れたフェンスが奏でた音に、少年の声が混じって一茄に届いた。
一茄は慌てることなく腕から力を抜き、足を地に着かせる。
そして、少年のいる扉へと振り返った。

「見て解らない?」
「解らないから聞いたんだけど?」
「ああ、そっか」
「で? 何してんの」

緩慢な動きで少年はフェンスまで移動し、其処に寄り掛るようにして腰を下ろした。
一連の動きを目で追い、一茄も少年の隣に座り込み膝を抱えた。

「死のうと思ったの」
「ふーん」

興味のない顔で相槌を打つ少年は、血色の悪い顔で空を見上げている。
着ているのはパジャマで、この病院に入院しているのだろうと結論付けた。

「死にたいならさ、そのイノチ僕にくれない?」

病院の屋上を流れていた沈黙を破ったのは少年であった。
無表情な瞳を一茄に向け、淡々とした口調で問掛けてきた。

「な……んで?」

少年に対して急に恐怖が沸き上がる。
気付けば少年を凝視していた。
彼は自嘲気味に口許を歪ませて嗤った。
息を吐き出す振動が空気を動かす。

「生きたいからに決まってる」
「生きてるじゃない」

何の気なしに呟いた台詞は、一茄を虚しくさせただけだった。
今生きていても、いつかはなくなるのが命なのだ。

「それを当たり前だと思うから、死にたいだなんて思うんだ」
「……当たり前だとか思ってないよ」

少年の言葉は、重しのように一茄の胸にのし掛ってきた。

「じゃあ、アンタは何で死にたい訳?」

少年の目が伏せられて、フェンスに頭が預けられる。
金網と接触し僅かな音が辺りを包んだ。

「生きる価値を汚された。辱められ、無価値にされて、堕とされた。価値がないなら消えてやろうと思ったのかなあ」

瞼の上がることのない少年を見つめながら、一茄は自分自身に問うように答えた。
少年が目を瞑ったままで声もなく口を動かした。

「なに?」
「バーカって言ってやりたい。アンタにも、相手にも」

目を開けた少年は、一茄の頬に手を伸ばす。
ギュッと指と指の間に肉を挟み抓んだ。

「イタッ、痛いよ!」
「良かったな、生きてる証だ。他人に付けられた価値よりも、アンタが自分に課した価値の方が重要だと思わない? 自分を貶めるのはいつだって自分自身だ。他人じゃない。生きたいなら価値なんか無くても生きれば良いよ」

少年の手が外れた、痛みの残る頬を擦って、彼の言葉を反芻させる。
言葉となって具現化されたものが、一茄の心を軽くする。

「うん、そうだね。……有り難う、ボク」
「解れば良いけど、今バカにした?」
「してないよ! だって、名前知らないし」

ボクと呼ばれたのが気に入らないらしく少年は顔を歪ませたが、一茄の指摘にバツの悪そうな顔でボソリと名前を口にした。

「彼方(カナタ)」
「彼方君?」
「彼方で良い。アンタは?」
「え、私? 私は一茄」
「ふーん、変わった名前」
「良く言われるよ」

一茄と彼方が他愛なく話していると、唐突に階段を掛け登ってくる音が耳に届いた。
視線を動かせば扉を開いて立ち尽くす看護師が見えた。

「彼方君! 勝手に部屋から出ちゃ駄目って言ったでしょ? 皆心配してるから戻ろう」

荒い息を吐きながらも彼女は近付いてくる。
それでも動かない彼方に対して看護師が口を開いた。

「悪化したら辛いの彼方君じゃない。冷やすと良くないから」
「……戻るよ。先行ってて」
「絶対よ?」

彼女は溜息を吐き出すと念を押して屋上を後にした。

「一茄、バイバイ」

立ち上がった彼方は、小さな笑みを残して一茄の前から消えたのだった。




 数日後、一茄は再びあの病院に来ていた。
手にはフルーツの入った籠がある。
彼方の見舞いに来たのだ。


 総合案内所で尋ねた部屋番を探して廊下を彷徨っていると怒鳴り声が聞こえてきた。
一茄はそちらへ歩を進める。

「嫌だ! 死にたくない。何で、何でだよッ」
「お、落ち着いて。まだ死ぬって決まった訳じゃ」
「助かる見込みなんてないんだろ!?」

彼方の声と母親と思われる女性の声が廊下に響く。
一茄は戸惑いながらもスライド式の真っ白いドアをノックした。

「……ダレ?」

彼方の堅い声と荒い息。
一茄は何故だか解らないが悲しくなる。
その感覚を押し殺し出来るだけ明るく応えた。

「一茄だよ。お見舞いに来た。入っても良い?」
「ああ、一茄か。ドウゾ」

安堵したかのように彼方の声が柔らかくなった。
一茄はドアを開けて病室に入る。

「初めまして、一茄です。お邪魔しますね」

ベッドの横の椅子に座っている女性に頭を下げて近付く。
彼女は困惑した表情を滲ませ一茄を見ていた。
籠を差し出すと慌てたように受取り、他の見舞い品の上に置いた。

「有り難う御座居ます。あの、貴女は彼方のお友達かしら?」
「いえ、彼方は私の命の恩人です」
「別にそんな大層なもんじゃないよ」

ベッドの上で横になっている彼方が口を挟んだ。
腕には点滴が打たれており、痛々しい姿が一茄の胸を苦しめる。

「病気、酷いの?」

自然と口を出た言葉で雰囲気が変わった。
ピリピリとした緊張感のある空気に包まれる。

「まぁね。今生きてるのが奇跡なぐらいには。いつ死んでもおかしくないって言われた」
「ゴメンナサイ、私」
「何で、謝んの? 死のうと思ってたから?」

一茄は無言で頷く。
上半身を起こして彼方が鼻で笑った。

「誰だって死にたいと思うことはあるよ。僕にだってある」
「だけど」
「僕にとって楽しい時間だったから、最初ムカついたけど許すことにした。有難く思っといて」
「……ありがと」

偉そうな、それでいて優しさの籠った彼方の気持ちが一茄を動かした。
ベッドに歩みより彼方に抱き着いたのだ。
彼方は顔を赤くし俯いてしまう。

「バッ、何してんの。離せよ」
「ゴメン。嬉しくて、つい」

抱き着いたままで彼方の頭を撫で、一茄は彼から身体を離した。
彼方の母親が呆気に取られた風情で口を半開きにしている。
そして、立ち上がると一言二言、言い置いて部屋を出て行ってしまった。

「あーあ、母さん行っちゃったよ」

彼方は肩を竦ませて一茄に視線を送る。

「変に思われたかな」
「さあね」

どうでも良さそうな彼方の額を指で弾き、一茄は彼方に向き合い太股の上で両手を握った。

「あのさ、遺書捨てたよ。生きようと思う」
「ふーん、偉いじゃん」
「それで、彼方にお願いがあるんだ」

他人事のような彼方の返答にもめげずに話を続ける。

「一緒に生きていきたいの」

息を吸い込んで、一息に告げる。
彼方は驚いているようだ。

「どういう意味?」
「そのままだよ。私、彼方のこと好きになったみたい」
「……僕は」
「応えて欲しい訳じゃないから。ただ傍にいれれば良いの」

困惑顔で俯いてしまった彼方に一茄は首を振った。
返事はいらないと示す。

「直ぐに死ぬかもしれない」

顔を上げた彼方は、小さな声でそう言った。
今にも泣きそうな顔で一茄を見つめる。

「大丈夫だよ。彼方は死なない」
「何を根拠にそんなこと」
「私の命、半分コにしよ。そうしたら死なない」
「え?」

一茄の意外な台詞に目を瞬かせる彼方に笑い掛けた。

「彼方が助けてくれた命、半分あげる。貰う権利が彼方にはあるよ」
「そんな口説き文句、どこで習ったの」
「秘密だよ」
「ふーん。僕の隣にいてくれる?」
「うん、ずっといる」
「……有り難う。僕も一茄のこと嫌いじゃないよ」

幸せそうに笑う彼方に、生きていて良かったと一茄は思った。
好きだと言ってもらえなくとも一茄は十分幸せだった。

「寧ろ、愛してるんだ」

耳元で囁かれた言葉にそれは増幅した。




 その後の二人がどうなったのか。
それは、皆さんの想像の中でのお楽しみ。




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